「思い出はあるけど未練はない」



ある秋、私は会長の部屋を訪れた。

彼は一人暮らしをしている。寂しい一人暮らしというけれど、

そんな気持ちさえ散らかしてしまったかのような部屋。

彼はいつもそうやって内面を隠してしまう。



壁を見ると、音の出なくなったコンポが時を刻んでいた。

入れてくれたコーヒーを飲みながら、彼が最近買った愛車(ロードスター)の話をする。

運転席が安らげる唯一の空間だと言った。



何だろう。気のせいか何か忘れている。

そのことに気が付いたのは彼が以前乗っていた車と今の愛車を比較した瞬間。

僕は思わずこう言った。

「あの思い出の詰まった車はどうしたの?」



そう言うと、彼はバッグから一枚の写真を取り出して見せてくれた。

それは昔の車の後ろ姿。

大きめのフレームの中には、真っ赤なトランクが写っていた。



いったいいくつの思い出を詰め込んできたんだろう。

いったいどれだけの季節をともに過ごしてきたのだろう。

いったいどれだけの女性を見送ってきたのだろう。

思い出の輪郭が一枚の写真に詰まっていた。



僕は言った。

「今はもう、この車は無いんだよね」

呟いた僕に、彼はこう答えた。



「思い出はあるけど、未練はない」



窓から一筋の風が吹き込んだ。

幸せは何処にあるんだろう。

秋空が尋ねていた。



<終>






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